自分の人生を振り返って、反省と今後の決意について

自分は温暖な気候の土地に生まれ、優しい祖父母、両親の元で、長男として何不自由のない生活で欲しいものは殆ど何でも与えてもらうといった環境の中で、中学卒業まで過ごしていました。

高校からは、生家を離れ一人暮らしが始まり、両親の期待と自分の夢を実現するために勉学に励むつもりが、意志の弱さから堕落した生活を送るようになり、大学受験にことごとく失敗してしまったのです。

浪人を許されて、京都で予備校に通い始めるも、遊び癖は簡単に治るものではなく、両親の期待に沿うことができませんでした。

それでも両親は尚も自分の我儘な要望に答えるべく、またしても浪人を容認してくれました。中学生の時まで、あれほど厳しかった父親が急に弱くなったような姿になり、何となく哀しくなりました。自分の小さいころに受けた虐待とかを乗り越えて、生きてきた父親が急に小さくなったようで、可哀そうな気持ちになったことを覚えています。

大学を諦め東京へ

それでも、結局受験に失敗し、もうどうしようもなくなり、実家から逃げるように、東京の友人を頼り、東京で働き始めます。

それでも大学への希望を捨てきれる事ができず、名古屋の大学に行くことになり、やっと大学生活を送れることになり、両親も心の他、安心していたように思いました。

そんな折、22歳の時、父親が病気で亡くなり、これからの事も考え大学を中途退学し、今の会社に勤めることとなります。

就職そして結婚

会社に勤め始めの頃は貯金もして、堅実に生活していたのですが、後輩ができて奢ってあげたり、また先輩に付き合って飲みに行ったりして、乱れた生活を送ることが増えていきました。

そうしているうちに、生来、潜んでいた、ギャンブルへの芽が動き出し、安易な気持ちから、パチンコにハマるようになっていくのです。

当初は自分の給料の範囲でやっていたものが、やがて、嘘をいい、実家のおふくろに融通してもらったりして、なんとか、しのいでまだ、借金はしないで過ごしていました。

28歳の時に結婚をし、子供にも恵まれて、幸せな生活を送るさ筈が、自分の小遣いでは到底我慢をすることができずに、ギャンブル(パチンコ)への依存がまたしても、頭をもたげてきました。

それと相まって、飲酒する機会も増えて、ますますお金が必要になり、家族に内緒で会社提携の金融機関に借金をすることになってしまったのです。

最初は、20万だった借金が、そのうち50万、100万と増えていき、最終的には300万になっていました。

自分の小遣いが月4万円で、その借金の返済が月に4万円、返しては借りる状態が続き、元金は減らずそのうち、ギャンブルで儲けて返せばいいという安易な考えが浮かび、またしてもパチンコにのめり込んでいき、とうとう、サラ金にまで手を出してしまい、月の返済額が、7万円にもなってしまいました。

毎月が憂鬱で眠れない日が何日も続きました。そんな時でも、妻は一生懸命に生活をまわしてくれて、本当に申し訳なくて、自分のバカさ加減を悔いてもどうにもなりませんでした。

実家の母も協力してくれて、300万の借金は返済できたのですが、他にも借りていたサラ金の借金のことは言えず、またしても、会社提携の金融機関に再度、借金をしてしまい、返済しなくてはいけないことになってしまいます。

治らない借金癖

50歳で一旦退職金を貰いますが、自分の借金の返済と住宅ローンの返済、子供の学費で妻には何も買ってやることもできませんでした。それでも妻は家族の為に一生懸命に家計をやりくりしてくれたのです。

そういう状況にあったにも関わらず、相変わらず自分の借金クセは治るどころか、更にひどくなり、借金を返すために借金をし、サラ金だけでなく、友人までにも借金をし、本当に迷惑をかけてしまいました。

息子の助言

58歳の時に息子に「60歳になったら、給料が半分になるのだったら、今のうちにそれを埋めるものを捜しておいた方がいいよ」ということで、パソコンでできる、アフィリエイトを紹介してもらいました。

息子はその頃、もうアフィリエイトでかなり成果が出ていて、自分のアフィリエイトの作業をしなくてはいけないのに、時間を割いてくれて、親身になって教えてくれました。それなのに息子の期待に全然応えられなくて、アフィリエイトの中身もわからないまま、ただ息子の支持に従って続けていたのでした。

息子の指示通りにやっていて、少し成果が出始め、更に上げようと息子が助言をくれたのにも関わらず、「辛くて辛くて、苦痛だった」という言葉を息子に言ってしまいました。

今まで自分の時間まで犠牲にして、教えてくれた息子に対して、非常に失礼極まりのない暴言を吐いてしまい、息子の心情を傷付けてしまったことは、どれだけ、謝罪しても許されることはないと思いますが、息子が納得してくれるまで、謝り続けるしかないと思っています。

改善すべき事と決意

そして、60歳を超え、給料が少なくなる直前に自分の癌が発覚し、またしても家族に迷惑をかけてしまうこととなってしまいました。

家族の協力や先進治療の甲斐もあり、癌はほどんど消滅したのですが、息子が自分の仕事の立て直しを図ろうと努力しているちょうどその時にまたしても、自分の借金が発覚してしまい、家族を奈落の底に突き落としてしまうこととなってしまったのです。

その借金のことも息子に追求されて、白状したのであって、自分の意志で言えなかったことは、まだどこかになんとかなるという甘い考えが残っていたのだと思います。

今まで覚悟を持って、物事に臨んだことがなく、すべていい加減だったのです。

結婚して幸せな家庭を持って可愛い孫までできた娘に対しても、辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

家族を持ってからの自分の人生は常に嘘と、言い逃れと、、ごまかしと、怠慢さに象徴されると思います。

そのためにどれだけ、妻が、子供が、母が、苦しい想いをしたかと思うと、もう本当に情けなくなってしまいます。

妻と子供にどれだけ謝っても、謝り足りないことは分っています。何十年も自分のいい加減さと嘘で、周りの人を犠牲にしてきたことは、自分がこの世に生まれてきたことでさえ、いけなかったことではないかったのかと思ってしまいます。

これから、自分は今まで自分がしてきた事を謙虚に受け止めて、絶対に周りの人に迷惑をかけずに行動していくのは、当然のことで、常に家族に対して尊敬と感謝の気持ちを持って接していかなければいけないのです。

話をする時は、常に相手の目を見て、話の途中で口を挟まず、相手の言葉に相槌を打ち、相手に不快な印象を与えないように心掛けていきます。

アフィリエイトについても、自分の力で全てできるように勉強をして、立てた目標はキチンと遂行できるようにして、稼ぐための努力を惜しまず、常に自分に跳ね返ってくることを自覚して取り組んでいきます。

何十年もかけた、迷惑行為は簡単に許してもらえるものではありませんが、家族が笑顔で話あえる日をめざして、頑張っていこうと思います。

未分類

Posted by kenkounet